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巡検風景

UR都市機構主催 都市再生事業現地見学会 2012

2012年3月13日、松原宏先生率いる東京大学人文地理学教室は、UR都市機構主催の都市再生事業現地に参加いたしました。

主に都市計画や都市再開発などに関心を持つ研究室が多数応募する中、本教室からは6名が参加することができました。

当日は風が強く寒いながら晴天に恵まれ、最後には青空に突き抜けるような東京スカイツリーの元で記念撮影できました。

– 大手町エリア –


大手町 大手町

 都心部では建設時の一時的な代替地を取得することが困難であるなど、年月を経た建物の更新が進みにくいことがありますが、東京都千代田区の大手町一丁目地区では、URなどの調整により「連鎖型都市再生プロジェクト」(土地区画整理事業、市街地再開発事業)が進められています。

  • 第一次再開発事業:合同庁舎の移転によって生じた跡地(約1.3ha)を「種地」とし、新しい建物への入居を希望した事業者が入居するビルをそこに新築します。古いビルは、もとの所有者の責任により解体されます。通常の建物新築の場合、代替地への一時的な仮住まいと、もとの所有地への戻り入居によって最低二度の引っ越しが必要になります。しかしこの事業では解体により生じた空地と「種地」との所有権の移転(「換地」)により、入居者は一回のみの引っ越しで新しい建物に入居できます。
  • 第二次再開発事業:第一次事業における入居者の移転・旧ビルの解体に伴って発生した空地を次の種地とし、再開発事業の次のサイクルへと移動します。

このように、換地を利用した地区の段階的な再開発事業を連鎖型再開発といいます。URは公的機関という性格を活かし、この連鎖型再開発の仕組みの構築や種地保有による事業リスクの軽減、都市基盤整備、関係者間の調整といった役割を担っています。

第一次再開発事業区域(旧合同庁舎跡地)には、ガラス張りの新しい高層ビル(写真右下)が建設されていました。第二次再開発事業区域(大手町一丁目第2地区)に建設中の高層ビル(写真左下:中央)は2012年秋に完成予定です。

– 晴海トリトンスクエア –

晴海トリトンスクエア 晴海トリトンスクエア
晴海トリトンスクエア 晴海トリトンスクエア

 晴海トリトンスクエアのZタワー内にあるUR都市機構晴海・勝どき都市再生事務所にて地区の説明を受けました。

目の前には都心ウォーターフロント地区の1/1000模型による大ジオラマが広がっていました(写真左下)。

市街地再開発事業が完了した晴海地区ではオフィスビルや賃貸マンションなどの高層建築物が整然と立ち並ぶ様子を観察しました(写真左上)。 職住近接も可能な賃貸マンション「ガーデンプラザ」の前には公園が整備され、また、一階部分の商店街「Skymart Harumi」があります(写真右上)。

晴海トリトンスクエアは銀座から2km圏内に位置し、地下鉄の勝どき駅および月島駅からは徒歩約10分の距離にあります。かつてこの地区にはUR都市機構による賃貸住宅・分譲集合住宅、民間の分譲集合住宅のほか、グラウンドや変電所が立地していました。1992年に再開発地区計画と第一種市街地再開発事業の都市計画が決定され、再開発事業が始まりました。この事業では、一つの計画に対しUR都市機構と晴海一丁目地区市街地再開発組合の二つの事業主体が共同で事業を進めました。事業施行区域の境界は入り組んでいますが、両事業主体の緊密な連携により地区内のシームレスな景観が保たれています。

– 曳舟・京島三丁目地区(防災街区整備事業) –

曳舟・京島三丁目地区 曳舟・京島三丁目地区

 京島三丁目地区は1923年の関東大震災、および1945年の東京大空襲での壊滅的被害を受けなかった地区ということもあり、全体的に都市基盤が整備されなかったまま都市化が急速に進行したため、密集した市街地が形成されました。大正末期からの長屋や木造家屋が密集しているため震災発生時の倒壊や延焼の危険性が高いこと、権利関係が複雑化し高齢の住民も多いことから自己建替えが困難であること、路地が狭いため緊急車両の進入や災害時の避難が困難であることなどの課題を残している地区であるといえます。

本地区における防災街区整備事業は2010年に事業計画が認可され、生活道路の拡張整備と建築物の不燃化による防災性能の向上、密集住宅市街地における良好な住環境整備を目的として2013年度まで事業が続けられます。

参加者の多くは、再開発され整然とした街並みの地区と古い街並みの残る地区との対比に関心を示していました。

曳舟駅前の再開発地区(写真左)では道路とゆったりとした歩道が整備され、それに沿って小奇麗な店舗が並んでいますが、この地区から少し外れると老朽木造家屋の密集部に細路地が通っている景観(写真右)が顔を出します。

– 押上・業平橋周辺土地区画整理事業 –

押上・業平橋周辺土地区画整理事業 押上・業平橋周辺地区土地区画整理事業

 東武伊勢崎線業平橋駅(現:とうきょうスカイツリー駅)周辺にはかつて貨物ヤードおよびコンクリート工場が立地していましたが、トラック輸送の急成長により1993年に貨物ヤードが廃止されました。都心に近接し東武伊勢崎線・京成押上線・都営地下鉄浅草線・東京メトロ半蔵門線が利用可能な交通至便の地でありながら貨物ヤード跡地は大規模な低未利用地となっており、再開発が待たれていました。

墨田区とUR都市機構による支援と地権者18名(法人4名・個人14名)の理解・協力により2005年に土地区画整理組合が設立されました。事業の施行はUR都市機構に委託され、都市計画事業としての土地区画整理事業が始まりました。東武鉄道はヤード跡地を新東京タワーの建設候補地として誘致し,2006年に建設地に選定されました。

開業目前の東京スカイツリーの基盤部分付近を見学させていただきました。

ふもとから見上げるスカイツリーの大きさは圧巻の一言で、塔の頂上部が見えないほどでした。大量の観光客の来場を見越し、大型観光バスの専用駐車場を整備したり、公共交通の案内を充実させるなど、交通面にも気を配っているとのお話を伺いました。

既に、地区の外からスカイツリーを見学・撮影する人の姿も見られ、また周辺では観光客向けの飲食店やコンビニエンスストアが徐々に増えつつあるなど、周辺地域への経済効果の波及も観察されているようです。

最後は青い空に映えるスカイツリーと共に、参加した人文地理学教室メンバーで記念撮影をしました(写真右)。

この現地見学会を企画して頂きましたUR都市機構の皆さまに、この場をお借りしてお礼申し上げます。

どうもありがとうございました。

2012年03月19日作成:本ページは参加者(松原宏先生・D1秋元菜摘・M2前田純花・M1三田秀策・M1澤岡知広・B4秋元祐介)により作成されました。